IOTA contest 2001 @ Aran Islands
2001年7月28〜29日に開催されたIOTA(Islands on the air)コンテストに、アイルランドの西海岸にあるアラン諸島から参加しました。

私が所属している South Dublin Radio Club のメンバーである、EI7GY Joeさんからのお誘いを受け、マルチオペレータの一人として参加することになり、家族3人でノコノコと(笑)ついていったのでした。

ダブリンからN4、N6を西にひた走り、ゴルウェイへ。さらに1時間、ロサヴィール(Rossaveel/Rós an Mhíl)への道程は、看板のほとんどがアイルランド語オンリー。んー、西だー(笑)。

ロサヴィールの港からフェリーで約1時間、アラン諸島で一番大きな島、イニシュモア(Inishmore/Inis Mór)に到着しました。この日は天気もよく、揺れると聞いていた船も順調でした。

私たちの乗った船
船にごきげんのもも

キルローナン(Kilronan/Cill Rónaín)の港から、私たちが予約したB&B(Bed and Breakfast)までは徒歩20分くらい。でも、事前にお願いしてあったマイクロバスでラクをさせていただきました。

キルローナンの港

現地には馬車がたくさん走っていて、島内めぐりなどをしてくれるのですが、あとで聞いた話では、タクシー代わりに使っても特に問題ないようで、最初から知っていれば港との行き来に使わせてもらったんですが。

B&Bからの眺め、その1
B&Bからの眺め、その2 海の向こう側はゴルウェイ側

とりあえず一休みしたあと、早速山の上の運用場所へ。そこにはすでに前日から設営をしている EI4GK Seánさんと EI9HQ Declanさんが待っていました。私たちと同じ船で来た Joeさんと EI7FNB Markさんも山の上に集合、全オペレータが集結しました。

元気に歩いて山に向かう、ぱふももと Joeさん

運用場所は「ドゥーン・アーラン(Dún Árann)」という石の要塞の中に立つ元灯台だった建物です。

運用場所の近くには牛がうろうろ...
今回の運用場所

アラン諸島の中で最も標高の高い場所(123m)に立つこの灯台、1818年に建てられたものの、標高が高すぎて霧の濃い日には使い物にならず、また湾の内側にありすぎて、外洋のボートを導くには不便だったことから、たった40年間程度しか使われなかったとのこと。また、第一次、第二次世界大戦には見張りの塔として使われたのだそうです。

灯台周辺には巨大の石の要塞があり、紀元前5世紀ごろに作られたらしいのですが、これがいったい何のために作られたのか、よくわからないのだそうです。防御のため、祝祭、儀式のためなどの諸説があります。

謎の要塞。灯台のてっぺんから
対岸の「モハーの断崖」

この一帯は昨年まで歴史公園として一般公開されていたのですが、今年の春から売りに出され、通常の旅行者は内部に立ち入ることができません。今回メンバーがどうやってここの使用許可をもらったのか、私は知る由もないのですが、どなたか興味のあるかたはチェックしてみてください(笑)。

「FOR SALE」の看板

今回はマルチオペレータで参加するため、2つの送受信システムが必要です。まだ立てていなかった14/21/28MHz用トライバンダーと3.5/7MHz用のウィンドムアンテナを、みんなで協力して立てました。

ウィンドムアンテナ設営中
Force12のトライバンダー(各バンド2エレメント)作りがシンプル。

Joeさんと奥さん、Markさん、それに私たち3人は、港まで歩いて夕食を食べに行きました。最初の夜は、とりあえずフィッシュ&チップスで。

ももとMarkさんは仲良し!
ぱふとMarkさん
一緒に食事をしていた、アイランドフェリーの船長さんと

私たち家族はB&Bで一晩ゆっくりさせていただき、翌日朝、再び山へ登っていきました。コンテストは現地時間の13時から24時間。すでに皆さんスタンバイ体制にはいっていました。

みんなでお互いの休憩時間を決めたあと、ついにコンテスト開始。コールサインは「EJ4GK/P」、Seánさんの島移動用コールサインです。メインステーションはCQを連発、サブステーションはマルチを探して呼びにまわるという形式の運用です。私はCWのサブオペということで、Markさんと交替でマルチを探してワッチします。

夕方、私は休憩時間をいただき、家族3人で港まで歩いて夕食。予約も無しで、レストランに飛び込んだのですが、なんとか食事にありつけることができました。

船着き場のすぐそばにあるレストラン/B&B「Pier House」

翌朝10時過ぎに再び山の上のシャックへ。「Kohei、日本が開けている。オペレート交替だ!」というわけで、いきなり21MHzでSSBのメインオペに。日本語のオペレートで日本からのパイルをさばくという幸運な状況になってしまいました。

実はこの時、私はよく理解していなかったのですが、このコンテスト、島の局(日本の局はすべて)との交信は他の大陸の局に比べて得点が5倍なのです。コンテスト終了間際で、イッキに点数を伸ばしたアラン諸島移動組だったのでした。

ヘッドセットを手渡され、慣れないロギングプログラムに入力しながら日本のパイルアップをさばく鱈

コンテストは終了。交信数は1900弱と、昨年よりもわずかに少なかったものの、島の局数の割合とマルチが大きく伸び、昨年の得点を大幅に上回ることができたとのことでした。皆さんの足手まといにならないか心配だったのですが、とりあえずは安心しました。

「そういうえば Koheiはしきりに『nana』『nana』と言っていたようだが、それは日本語で7のことか?」と皆さんに聞かれました。そう、日本の本州は「AS-007」なので、私もコンテスト中にさんざんそう言っていたのでしょう。さすがアマチュア無線家、まったくわからないはずの日本語も、ただでは聞いていませんでした。

皆さんが私たちに気を使ってくださり、コンテスト終了後は島内の観光をさせていただきました。後片付けにも参加せず、申し訳ない限りです。実はこの後、Declranさんと Seánさんは火曜日までここに残り、移動運用を続けていたのだそうで...恐るべし、ケルティックタイガー(笑)。

それで、港の近くのホールで行われていた「Ragús」というアイリッシュミュージックとダンスのショーを見に行きました。私はかねがね、アイリッシュダンスをぜひぱふももに見てもらいたいと思っていたのですが、なかなか今までその機会がありませんでした。ちょうどよいタイミングだったので、見に行きました。素晴らしいですねー。あっという間の1時間、感動のショーでした。

ホールへ行く途中で見つけたレストラン。アイルランドとEUとアメリカと、なぜか日本の旗が立っていました。

今回のメンバー全員がレストランに集合し、夕食。ここまで、コンテストのこと以外ほとんど皆さんと話をすることがなかったのですが、皆さんの人柄にも触れることができ、本当に楽しいひとときでした。翌日の朝、港の付近でおみやげを購入し、12時発のフェリーでイニシュモアを離れました。

おしまい。

文章:たら/Kohei EI8JC/JR0BAQ
copyright © 2001 Kohei Nishiyama


EI7GY Joeさんのサイトにある、今回の公式?写真集もあわせてご覧ください。

いろいろリンク。

Aran-Islands.com
Island Ferries Teo
Irish Radio Transmitters Society
South Dublin Radio Club
IOTA offical site
IOTA JA check point
Irish Callbook
Force12
Ragus Teo
Property Partners